アパレルデザイナー兼 生産サポートとして、インドと日本を行き来しながら洋服や雑貨の制作に携わる山﨑明子さん。 「インドは『インド』という名前の巨大テーマパーク」と表現するほど、彼女はインドの魅力に惹かれているそうです。
そんな山﨑さんは、どのようにしてインドと出会い、独立に至ったのでしょうか。 コロナ禍で一時は仕事が全てストップしたものの、そこから新たな挑戦が生まれたといいます。
インド愛に溢れた山﨑さんのものづくりの原点と、今後の展望について伺いました。
山﨑 明子さん
アパレルデザイナー兼生産サポート。高校生の頃からアジアの民族衣装や雑貨に興味を持ち、卒業式にはベトナムのアオザイを着用。専門学校でデザインとパターンメイキングを学んだ後、アパレル会社に就職するも、自分の理想とは異なる業務内容に悩み、半年で転職。その後、輸入雑貨の会社でデザイナーとして働き、洋服部門を担当。偶然にもインド担当となったことをきっかけに、インドの工場とのやり取りを経験する。現在は独立し、apna株式会社としてインドでの洋服や服飾雑貨、布、バッグなどの小物のデザインから生産、販売までを手がけている。現地では⼀週間に平均15カレーを⾷す。台湾の占い師に「あなたの魂はインドで⽣まれたのよ!」と断⾔される、よく訪れる場所にインドカレー屋ができがち等、世界のどこにいてもインドとの縁を感じている。
インド出張は楽しい工場見学
ー明子さんと言えばインド。いつからインドと関わるお仕事をされているのですか?
独立する前は、輸入雑貨の会社で洋服部門のデザイナーをしていました。そこでインド担当になったことを機に、インドとの繋がりがスタートしました。
インドに初めていったのも仕事の出張です。徐々に滞在期間が長くなり、最終的には1年の半分をインドで過ごすようになりました。
ー1年の半分!
インド工場の社長が日本に来た際、歓迎会で私の会社の社長と品質について激論を交わしていました。 「じゃあ、日本から誰かをインドに送ってくれれば良いんだよ」とインドの社長が言い出し、「じゃあ、山崎さんで!」と、たまたま近くでビールを飲んでいた私が名指しされたんです。その時は飲みの席での冗談だと思い受け流しましたが、翌日出勤すると社長から「パスポートあるよね。いつからインドに行ける?」と言われ、まさかのインド行きが決まりました。
最初は3週間の滞在。次は1か月、2ヶ月、3ヶ月……と徐々に滞在期間が長くなり、気がつけば年の半分をインドで過ごすようになっていました。
ー飲み会での話がリアルになって、近くにいたあきこさんがたまたま選ばれたと。正直なところ、インド行きに抵抗はありませんでしたか?
行ってみたら楽しかったんです。ずっと一緒に仕事をしていた工場ですし、私は洋服を作ることが好き。だからこそ、自分の好きなものが実際に作られる現場を見るのがすごく楽しくて、まるで工場見学をしているようでした。次第に、自分から「次はいつ行きますか?」と聞くようになりました。
ーインドでの暮らしはなかなかハードなイメージがあります。言葉の壁、生活環境の違いなど、大変なことも多かったのでは?
当時滞在していた工場のゲストハウスでは、お湯の出し方がわからなくて。お手伝いさんに聞こうにも英語が通じない。「ここはインドだから、きっとお湯は出ないんだ」と思って、水のシャワーを3週間浴びていたこともあります。
とはいえ、プライベートではそんなに大変なことはないですよ。一方で、仕事でのトラブルは日常茶飯事です。
ー記憶に残っているトラブルはありますか?
ある商品の納期がギリギリだったんです。その日までに日本に届かなければ、季節的に売りにくくなってしまう状況でした。日本の企業ともインドの工場とも綿密なやりとりをして、商品が手元に届いたらすぐに日本に送れるように、紙タグなどを予め用意しておきました。
ギリギリのタイミングで商品が届き安心したのも束の間、コットンでオーダーしていた刺繍がキラッと光って。まさか……と思い、念のため刺繍屋さんに確認の電話をすると、「コットンだと色落ちすることがあるから、ポリエステルにした」とのこと。刺繍屋さんの善意ではあるけれど、先に言ってほしかった……。最終的にはお客様にポリエステルの刺繍を承諾いただき、タグを作り直して3日遅れで納品できました。
これ以外にも細かいトラブルは数え切れないほどあります。
ー日々のトラブルにストレスが溜まることもあるのでは?
トラブルが起きた時には、ひとりで部屋に籠もって落ち込む時もあるし、悪夢を見る時もあります。しかし、今できることをとにかくやるしかないので、何とか乗り越えています。
異動を機に独立。インド生産を突き詰めたい
ー現在は会社員時代とは違う働き方をされているそうですね。独立のきっかけは何だったのでしょうか?
社内異動がきっかけでした。会社で新しいブランドを立ち上げることになり、その店舗のマネージャーになりました。自分が作った商品を直接お客様に販売できることは楽しかったのですが、「なにか違う……」という気持ちが拭えずにいたんです。
というのも、年の半分をインドで暮らす生活を始めて5年が経過し、インドでの生産・管理をさらに突き詰めたいという想いが強くなっていたからです。そのため、2017年に独立することを決意しました。
ー個人がインドでビジネスをする。すごく難しそうなイメージがあります。何からスタートされたのでしょうか?
会社を辞める時に、会長から「いきなり個人でやるのは大変だよ。軌道に乗るまでうちの仕事をやって良いよ」と声をかけていただき、独立したと言っても、最初は会社員時代とほぼ同じ仕事を続けていました。
ー会社員の時にやっていた仕事を業務委託でやるようになったのが、独立のはじめの一歩だったのですね。
逆境をチャンスに、デザインと向き合う
ーフリーになってからと今。業務内容は変化しましたか?
コロナを機に大きく変わりました。
独立して2年半程経った時に、コロナの影響でインドに行くことが難しくなりました。現地での生産管理や検品ができなくなり、インドがロックダウンされているので商品も流通しない。当時の仕事は全てなくなってしまって。
「このままではいけない……」と思って、自宅に籠ってデザインと向き合い、2021年頃から自分でデザインした商品をインドで生産し、輸入・卸売りする新たな事業をはじめました。
さらに幸運なことに、コロナが収束するにつれ、業務委託の仕事も徐々に戻ってきました。
ーまさにピンチはチャンスですね。
コロナで全ての仕事がストップしたからこそ、デザインと向き合う時間が持てました。2023年には日本で開催されたインドの展示会に参加し、自分でデザインした商品を置かせていただきました。それを機に、日本の企業さんとの取引も少しずつ増えています。
ブランドを立ち上げ、インド生産のロールモデルになりたい
ーこれから挑戦したいことはありますか?
インド生産がスムーズにいく仕組みをマニュアル化していきたいです。
というのも、日本のアパレル会社と仕事をする時に、「中国ではできるのに、どうしてインドではできないのですか?」と、インドと中国を比較をされる場面が増えたからです。
インドには優れた技術や素材がたくさんあるし、人材も豊富。一方で、文化や習慣の違い、言葉の問題などが壁となり、スムーズに進まないことが多いんです。
私はこれまでインドでたくさんのトラブルに直面し、一つ一つ乗り越えながら、様々な経験を積んできました。だからこそ、その経験を活かして、インド生産の在り方を言語化していけたらなと。
ー中国ではできて、インドでできないことはどのようなことでしょう?
たとえば、中国ではチャットで問い合わせるとすぐに日本語で返事が来たり、サンプルを頼んだら3〜4日で届いたりします。一方、インドでは日本語に対応できない工場も多く、迅速な発送も難しいのが現状です。
インドの場合、工場、生地マーケット、刺繍屋さんなどの場所がインド全体に散らばっているため、生産から発送までの時間を短縮するのは容易ではありません。ただ、「このくらいの時間がかかるから、このぐらい前に発注してください」といったことは伝えられると思うんです。
洋服や雑貨ができるまでの過程にある長いプロセスやトラブルを明確にして、改善していく。そうすることで、生産に関わるインドの方々、日本の企業、そして最終的に商品を手にするお客様まで、全ての人が無理なく幸せになれる仕組みを作ることを目指しています。
ーインド生産の仕組みを整えるために、具体的にどのようなことをしたいと考えているのでしょう?
インド生産の問題点を解決するためには、生産管理に自分の裁量が必要不可欠です。そのため、自分のブランドを立ち上げることで、自由に試行錯誤できる環境を作りたいと考えています。自分のブランドなら、生産工程の細部まで決定権を持てるので、様々なアイデアを実践に移し、その効果を十分に検証することができるからです。
ー自分のブランドを持って、試行錯誤しながらインド生産の流れをマニュアル化していく。一石二鳥な取り組みですね。
私はインドの美しいものや面白いものが大好きなんです。その気持ちを大切にしながら、ものづくりを続けていく過程で、インド生産のスムーズな流れを確立していけたら最高ですよね。
インドは巨大なテーマパーク
ー明子さんの物づくりの根底にはインドへの愛が感じられますね。
私にとって、インドは『インド』という名前の巨大テーマパークなんです。カレー、洋服、デザイン、文化、人々…….インドには私の大好きなものがたくさん溢れています。通うたびにどんどんインドに魅了されています。
その中でも私が一番好きなのは、工場。工場に座っているだけで幸せな気持ちになってくるんです。インドの工場に並ぶ素敵な布を見るたびに、ぎゅーっと抱きしめて『好き!』って伝えたくなります。
ー布を抱きしめる明子さん、可愛い。
インドにいる時の私は、日本にいる時よりも素直になれている気がします。言葉の壁があるからこそ、回りくどい言い方ができず、感情表現がダイレクトになるからですかね。
それに、インドの方々は、とりあえずやってみて、ダメだったらまた考えるという臨機応変で前向きな方が多いです。だからこそ、仕事でのトラブルは多いですが、私はインドの暮らしが居心地が良いですし、すごく楽しいです。